Friday, March 15, 2013

「ことばと文化」 鈴木孝夫

この本、ことばというものが、どれほどその文化背景と深く繋がっているものかということが、様々な例と共に提示されています。

言葉の含蓄するものが、音や意味など単に1対1で他言語に置き換えられるものではない、という事実が論理的に述べられていて、それがまた読み物としてもおもしろく読めます。

内容の一部は、外国に長く住んでいれば肌身で感じずには済まされない現実です。

ああ、こういう時にはこうは言わないんだな、とか。そういう表現はこうするんだな、とかを、社会生活の中で初めて学べることって、たくさんあります。

ことばを習うということは、その後ろにある文化ごと理解していく作業ということか。

日本語と欧米語の人称詞の対比が興味深いです。インド・アーリア語系の言語では、1人称の「I」などど2人称の「You」などが意味するものは、話し手と聞き手をはっきりさせる作用がある、ということ。とりあえず今は「I」である私が話してるのだよ、これが私の意見だよ、と。

ひるがえって日本語では、人称詞がそれらと単に1対1では対応しない。それとは別の法則性がある。誰かに話すときに、自分を称して「おじさんはね、」などど言う。自分の子に「パパ遅いね」と話しかける。パパなる人は自分の父親でもないのに。

「お兄ちゃん」「叔母さん」などは人称詞としてYouのかわりに使われるのに、「弟ちゃん」や「姪さん」はあり得ない。このあたりは言われてみるとなるほど、とおもしろい。

筆者のいう、対象依存型の自己規定をする日本語という見方が、日本人の国際社会での振舞い方を理解するひとつの鍵になるようです。異文化間での発言の際に、どのあたりに気をつけたらよいかを考える上で、助けになると思いました。

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