Saturday, February 16, 2013

お釈迦さまの説く、老病死の捉え方

山茶花
夕方、アイルランドの義兄が倒れて緊急手術が行われている最中という連絡が入り、ちょっと心配しました。

病気になったり、年取って弱くなったり、そういうことがある度に悲しくなったり気弱になったりしますよね。それって当然って思ってましたけど、仏教では別の角度からこういう事象を捉えるようです。

つまり、生きている以上、病気や老衰や死ということはあたりまえに起こることであって、いちいち悲しんだり憤ったりすることではないと。

人は必ず死ぬ、という現実を直視して、新しい世界観・人生観で生きていく、ということらしいです。

「私は死ぬ性質です」ということを覚れると、生に執着して、自分の命を守るためにならどんなことをしてでもがんぱって生き続けていくという哲学が、まったく違う哲学となって生まれ変わるのだ、ということです。

その新しい哲学は、平和的で友好的で、調和されています。そこには攻撃的な要素もなければ競争という世界もまったく消え去っています。と、お釈迦様が説かれています。


これも衝撃的でした。なんだ今まで、まるで逆の方にがんぱってだんじゃないかって。
何ごとも永遠のものはなく、すべて流れ去っていくのですね。そういう、どっちみち無くなっていくものに対する執着はとっとと捨てた方がラクになります。手放すんですよね。

悲しみあわてているばかりではなく、そういう事態にあっても、理性を働かせられるようになっていた方が人としてできている、ということではないでしょうか。

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